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​これまでの歩み

第一部 世界に通用するような選手の育成
ハニーサックルテニスパーティーの中心である野崎は、高校時代軟式テニスの岡寺選手(日大)に憧れ、その後オーストラリアのセッジマン選手に出会い、そのテニスと人柄に触れ、このテニスを広めなくてはとの気持ちを強く持ちテニス指導を始めました。元々は高校テニス部を指導し、選手はインターハイ等に出場。その後世界に通用するような選手の育成を目指しながらテニススクールを始めました。

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第二部 真に有能な人たちとの出会い
テニススクールをおこなうことにより、一般の人々の幸福なテニスライフ、プラスとなるテニスを考えて来ました。そして生徒さんが一念発起してトーナメントに参加したい、と考えても十分世界に通用する技術とマナーをお伝えするという考えでやって参りました。その頃、テニス以外の世界で素晴らしい人々との出会いがあり、それが野崎に衝撃を与えました。漁師の馬場さん、猟師の山崎さん、松本さん、最後の江戸木挽 林さん、鉄のお医者さん根津さん、などなど、皆その世界の匠です。テニスという小さい世界だけで見ていたのですが、体を使って色々と働く素晴らしい人々の能力と魅力に接しました。
それらに照らし合わせてテニスはどうあらねばならないかと考えさせられました。そして彼らと話をするには何らかの匠になろうとしました。それはテニスの指導者としてです。プレイヤーが失敗しているときにその原因をはっきりさせ、どのようにしたらうまくいくかを明確に示すことのできるコーチを目指しました。その研究の間にいくつもの「エラーの法則」を見つけ、現在も多くのプレイヤーを救っています。

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第三部 ハニーサックルテニスパーティー
テニススクールを続けていましたが、スクールの限界を感じ、そこでずっとお付き合いできるサークルを作ろうと考えたのがハニーサックルテニスパーティーです。最初はテニススクールと並行していましたが、スクールをやめ、ハニーサックルテニスパーティーに専念しています。今まで色々なところでテニススクールをおこなった経験から、テニスを楽しむには誰と、どんなテニスをするのか、が重要だと気付きました。施設やコートはその次です。ですからコートを持つのでなく、人の集まりとして、理念に集うテニスパーティーといたしました。

野崎が選手育成を始めた頃、日本ではまだ粘りのテニスが主流の時代でした。そのときボールをしっかり打つということ、女性でも男性並みのサーヴを打つなど、世間とは逆のテニスで全日本選手権などで成績を収めました。現代では世界のテニスはあまりに攻撃的で誰でもが耐えられる範囲を超えているように感じます。ここではW.Tildenの「How to Play Better Tennis」から学んだことを大切にしながら調和のとれたスタイルを目指しています。

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野崎はセッジマン氏に出会いそのテニスの美しさ、強さ、そして人間の素晴らしさに触れ、テニスコーチを志すようになりました。世界ナンバーワンにもなったプレイヤー、セッジマン氏を見送りに羽田空港に向かったところ、通訳の方とお世話をした方のみでその他の人は誰一人見送りに来ていなかったそうです。講習会でもたくさんの写真を撮った野崎を「photograph boy」と覚えていてお別れの握手をしてくださったそうですが、今でもその時の手の温もりが忘れられないとのことです。そんな訳で我々はセッジマン氏を先生の先生と呼んでいます。

野崎スポーツ

(セッジマン氏・国立庭球場場長さん・野崎)

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